このレコードの革命的な意味を理解するためには、ジャズにおける即興演奏がどのような仕組みで行われているのか理解する必要がある。最も単純な方法はテーマ・メロディを変奏することだ。この方法はテーマが複雑になると難しくなる。そこでコード進行に合わせて即興することになる。個々のコードに合ったスケールで演奏することによって即興するのである。40年代から50年代にかけて腕に覚えのある者たちはコード進行をますます複雑化し、アクロバティックなプレイを披露するようになる。All the Things You areのようなスタンダード・ナンバーでさえ、テーマには3つの調が含まれており、ワン・コーラスで2回転調することになる。ここでジャズのジレンマが生じる。単調さを避けてコード進行を複雑化すると、即興はますます困難になり、いつも同じようなアドリブしかできなくなり、かえって単調な音楽になってしまうのだ。このジレンマを克服するためにマイルス・デイヴィスが導入したのがモード奏法だ。モードによる代表作So WhatはDドリアンとE♭ドリアンという二つのモードで12半音すべて利用できるようにしてある。Kind of Blueの録音に参加したコルトレーンはモードの革命的な意味を直ちに理解したのだろう。彼は自分の得意なプレイでモードを側面から援護射撃しようとする。コルトレーンはサックスでコードを出すというセロニアス・モンクのアドヴァイスに従い、コードに合うスケールを高速で吹くシーツ・オヴ・サウンズというスタイルを手にしていたが、コード進行の複雑化を極限まで推し進めたタイトル曲をシーツ・オヴ・サウンズでプレイするというアクロバットの極致のようなプレイによって、転調とコード進行に基づく既存のジャズにはこれ以上進歩の可能性はないことを立証したのである。コルトレーンの証明は説得力を持っていた。なにしろピアノを担当した名手トミー・フラナガンがほとんど何もできないという醜態をさらしたのだから。コード進行の複雑化を進めていけば、遅かれ早かれ、ジャズは演奏不可能という袋小路に突き当たる。それを回避するためにはモードへと移行するしかない。Giant stepsはモードへの移行を側面から援護しただけではない。コルトレーン自身、既存のジャズを極限まで推し進めたことによって、モード、フリー、非西洋音楽という新しい可能性に挑戦するための足場を固めたのだと言えるだろう。革命的変革にはよくあることだが、事態はコルトレーンが予想した方向には進まない。モードの不可避性はもはや明らかだったが、モードを理解していたものは少なかったようだ。マイルス・デイヴィス門下のコルトレーンやビル・エヴァンス、コルトレーン・カルテットのマッコイ・タイナーの他は、エリック・ドルフィーやしばしばSo Whatを取り上げたジェレミー・スタイグ、ハーフ・ノートでImpressionsをプレイしたウェス・モンゴメリーなど一部のミュージシャンが理解していたにすぎない。So WhatやImpressionsのような典型的なモード曲をレパートリーに取り入れたものがどれほどいただろうか。モードを理解したものは少なかったからこそビル・エヴァンスとジェレミー・スタイグという意外な取り合わせが必然的となったのだろう。So Whatをプレイできる者は多くなかったからである。他方で、コルトレーンがジャズの限界と看做したGiant Stepsが皮肉にも名人芸を披露するためのレパートリーとして広く演奏されるようになってしまった。思いつくままに挙げると、ジョー・パス(Virtuoso#2)、ジャコ・パストリアス(Invitation)、ゴンサロ・ルバルカバ(The Blessing)、パット・メセニー(99→00)などがある。